先天性アウトプッター

備忘録及び雑記

2019年2月28日から放置、リアル奮闘記をメインに日々の備忘録として2021年9月25日に復活。2023年2月28日に終了。過去ログはhttp://miuticknine.blog.jp/参照。今後はhttps://note.com/miucherry/にて更新(2023.2.28現在)

リアル奮闘記.10~ラストはてブロ

2023年2月も終わり。

 

今月は、まさに「リアル奮闘期」でした。

 

バレンタインデーに夫婦喧嘩したり、

昔懐かしい紙芝居を夫婦で見に行ったり、

母の1周忌があったり、交際記念日があったり。

 

バレンタインデー当日は喧嘩したから

夫の大好物をお取り寄せしただけだったけど、

後日、手作りチョコを渡せました。

完全に私の好み(すみっコぐらし)だけど

 

私は幼少期に紙芝居を楽しみにしていた経験があるけど、

10歳下の旦那は初体験。

カタヌキが得意な旦那は見事に型抜いて、

紙芝居屋ちっちさんのソースせんべいをGET。

夫婦で見に行った紙芝居(亀戸梅屋敷)

 

色とりどりの供花が絶え間なく添えられているのは、

共同の樹林墓地ならでは。

母さん、ありがとう。あなたの娘は、相変わらずです。

 

24日は交際記念日。

15年前にお付き合いを始め、5年前に結婚。

毎年、記念日に何かするようなマメな夫婦じゃないけど、

つまみを食べながら「記念日とかお正月とか節目って大事だよね」

と語り合いました。

交際記念日として夫婦で久々に居酒屋で乾杯

 

母の1周忌。

 

正直、母がもうこの世にいないという実感がありません。

ふとした時に「母さんと話してないなあ...」と思うことも。

 

東京の老人ホーム、サ高住などは利用料金が高く、

ケアマネさんに促され、茨城へ。

最初のサ高住では、他の利用者さんに比べ、

身体的に元気な母は厄介者扱い。

茨城のケアマネさんに紹介して頂いた

別のサ高住へ移転するも、ものの数か月で

もともと申し込んでいたグループホームから

空きの連絡が来て、また移転。

 

母にとって終の棲家になったグループホームは、

きっと母に合ってたと思います。

好き嫌いが激しく、ちゃんと食事を摂らなかった母が、

全部たいらげるようになりました。

部屋の窓からの眺めが好きでした。

施設らしからぬロッジ風の温もりある環境で、

中庭にいる鶏や亀を楽しそうに眺めてました。

天気のいい日は玄関先のテラスで

みなさんと一緒に食事をしたと語ってくれました。

 

亡くなった時も、職員さんから利用者さんまで

みなさん最後のご挨拶をきちんとして下さったり、

葬式場に献花を直接届けて下さったり、

私にまで温かい気持ちにさせてくれました。

 

あれから1年。

今でもあの時のことを思い出します。

もう利用者ではないし、関係ないけれど、

母を介して繋がった縁に、

今いちど感謝の意を伝えたくて

メッセージカードを郵送しました。

 

私は、母の命日22日に

ひとりでお墓参りしたけれど、

旦那と夫婦揃ってお参りしようということで

26日にも行ってきました。

その時、家を出る前に母がお世話になっていた

茨城のグループホームから電話がありました。

メッセージカードのお礼として。

 

「もう落ち着かれましたか?」

 

...即答できませんでした。

 

落ち着いてるか?というと、

落ち着いてるとは思います。

でも、母を想う気持ちは落ち着いてません。

もしかしたら、ずっと落ち着かないのかもしれません。

先に亡くなった父のことも

7年経った今でも落ち着いてません。

私の中に両親が生きているからでしょう。

 

遺品整理はまだ片づいてません。

「みっこさん、相変わらずね」

母が呆れながら笑う声が聞こえてきそうです。

 

離婚と難病で行くあてを失った私を

受け入れてくれ、入退院を繰り返した10年間、

片時も離れずそばにいてくれた両親。

私が私でいること、いられること

何よりも望んで尽くしてくれた両親。

 

旦那でさえ、私が私らしく元気でいること

何よりも望んでくれています。

今まで本当に人に恵まれる人生でした。

感謝しながら、人と自分を大切にして

これからも生きていきたいと思います。

 

 

 

 

リアル奮闘記.09~亡き母の誕生日

令和5年は、兎年。

昨年2月に逝去した母は、兎年生まれ。

生きていたら、84歳の年女でした。

そして、先月1月27日は、母の誕生日。

 

昨年末、仏壇は掃除して綺麗にしました。

我が家にある仏壇は、

曾祖母、祖父、祖母、両親と

5つの位牌が住んでいます。

仏壇の掃除は、もう何も見なくても

出来るようになりました。

なので、母の誕生日にも

軽く綺麗にしたり、供花を飾ったり、

母が好きだった甘味を

お供えしようと思ってました。

 

思ってました...ということは、

出来なかったんです。

 

その日は、

年に1度するかしないかの

夫婦喧嘩をしました。

 

喧嘩というか、軽い口論ですね。

全面的に私が悪いのですが、

夫はそれを追い詰めるような

糾弾の仕方をします。

その時、彼は仕事で疲れて

機嫌が悪かったのはわかりました。

でも、私も体調悪かったんです。

私はついに倒れてしまいました。

救急車搬送には

ならずに済んだものの、その日は

何も食べずに泣きながら寝ました。

 

母の誕生日なのに...と思いながら。

 

翌日、夫と話し合って

仲直りしました。

「雨降って地固まる」ですね。

その時に、

夫から素敵な言葉を頂きました。

 

「家事をやって欲しくて結婚したわけじゃない。

結婚すると、女性は”主婦”って呼ばれるよね?

共働きだったら、兼業主婦。そうじゃなかったら、専業主婦。

主婦って調べると、生活の場である家でやる仕事、炊事、洗濯、掃除などをやる人って出てくる。それが苦手だ、やりたくないってのは結婚前から言ってたよね。それはやらなくていい。

ただ、俺じゃできないことをやって欲しい。最低限のことをやった上で、お互い話し合って解決していって、ふたりで元気でいることが一番大事。

家事はやりたい時にやればいい。

やりたくない時はやらなくていい。それで元気でいてくれるならね

 

私たちは15年前に出逢い、

翌年から付き合い始めました。

その時の夫の言葉は

「付き合ってもいいよ」でした。

そして、私の父が逝去して喪が明けた

5年前、結婚しました。

その時はもう必然といった感じで

プロポーズの言葉はありませんでした。

 

でも、今年の母の誕生日に喧嘩して、

翌日、話し合って、

初めてプロポーズされたような気分💓

 

私は、一度結婚に失敗して、

自分は結婚に向いてないと思ってました。

それは、世の中の「主婦」という概念に

囚われていたから。

好きな人の嫁になりたいとか、主婦に

なりたいって思ったことありません。

 

夫から

「主婦」に代わる新語を造ってみれば?

とも言われました。

 

人生の伴侶といった言葉はありますが、

もっと親しみやすく馴染みやすい新語。

 

「そういうの得意じゃん」

 

いや、そうだけど...

 

女性が稼いで男性が家を守るご夫婦や

同性婚などにも使える言葉。

ライフパートナーという言葉が

浮かんだけど、何か保険屋さんの

ようなイメージがして...(すみません)

 

こういった関係だったり、

社会や家庭においても

女性の立場が尊重されるようなことを

望んで、社会運動してきた私の両親。

特に、母は、その思いが強かった。

その母の誕生日に口論したきっかけで、

新しい概念で夫婦でいようとなったこと。

 

きっと母が一番喜んでいると

思いたいです💕

 

 

【告知】

リアル奮闘記は、今月2月、母の一周忌を

迎えたタイミングで終了とします。

そして、このブログは、閉鎖しませんが、

更新もしません。

今後はnoteの方で多方面の記事を

更新していきます。

どうぞよろしくお願い致します。

note.com

リアル奮闘記.08~合同葬祭

6月5日、

父の七回忌と母の納骨の合同葬祭の日。

△法事の会食にて

 

午前中に車で夫の実家へ。

義父を乗せてから、弟のところへ。

 

弟とは、実に22年ぶりの再会

△会食した店でお買い求めた駄菓子5個100円

弟は、ひとり暮らしをするために実家を出て、

その後、行方不明になっていました。

父が亡くなった時も連絡がつかないほど...

父の遺品から弟に関する書類が出てきたので、

それを元に自力で捜してはいたけど、

見つけることができないでいました。

 

私が結婚して、両親と住んでいたマンションに

夫婦で暮らすようになって4年。

分譲マンションなので、相続問題として

弟の生死を明確にしなければならず、

家庭裁判所に出向いて

戸籍から抹消する手続きまで考えてました。

 

母が入所してたグループホームから

弟から電話があったという連絡がきたのは、昨年秋。

そこでようやく弟と連絡がつきました。

 

母が亡くなったタイミングで

弟は仕事の関係で火葬式も参加できず。

この合同葬祭でようやく再会となりました。

△従姉妹から頂いた焼き菓子

弟、身体が大きいのは知ってたけど、

ますます大きくなって!

まるで力士のような(笑)

幼い頃の面影はマスクで隠されて

よくわからなかったし、声変わり?したのか

覚えてる声ではなかったけど、

とにかく声がデカい!

△霊園にて 弟と夫と義父

父が眠る霊園まで車を走らせる間、

私と弟はずーっと喋ってました。

 

霊園に着いたのは、14時頃。

管理事務所へ行って

納骨の手続きをしようとしたその時...

 

火葬許可証がない!!

 

😱

 

両親の遺骨を納めるために

高い競争率の中、当選したのは樹林葬なので、

カロート(納骨棺)に納めるために

粉骨する必要があります。

 

粉骨業者から受け取った母の遺骨と一緒に

火葬許可証が入った封筒を渡されたはずなのに、

母の遺骨をくるんだ風呂敷の中に入ってない!

 

・・・・・・💧

 

当然、納骨手続きは不可

△北海道の親戚から届いた六花亭詰め合わせ

夫、義父、弟、従姉妹、従姉妹の夫と

参列して頂いたのに、納骨できないとは!

 

皆さんが”私らしい”と笑ってくれて

救われたけど、ひたすら頭を下げて

平謝りしました。

△仙台の従姉妹から届いた笹かまぼこ詰め合わせ

結局、父の七回忌だけしました。

 

昨年、北海道の叔父も亡くなり、

コロナ渦の中、厳戒態勢で参列。

その時に、お坊さんと一緒に読経するため

小冊子が配られました。

 

この日、小冊子を持参して説明すると、

火葬許可証を忘れた罰として

その小冊子で読経しろ、と

お坊さんでも何でもない私が!?

何の修行もしてないのに!?

 

でも、何となく出来てしまったのは、

歌を投稿する活動で、

読経したことあるからですね...(コソッ

 

私と夫以外は、ここの霊園は初めて。

しかも、墓石のない樹林葬

間近に見るのも初めて。

メリットやデメリットなど説明しながら

親族同士で話が盛り上がる、盛り上がる。

 

従姉妹夫妻とはここでわかれて、

霊園から法事会食の場へ。

△法事の会食にて


こちらは本店。

父の墓参りをする際に、生前の母と

よく支店を利用していました。

 

まあ、そんなしんみりと故人に思いを

馳せる...ということもなく、積もる話で

大いに盛り上がり、19時前に、退店。

 

その後も、夫が運転する車の中、

弟はひたすら喋り続けてました。

デカい声で。

 

弟の自宅近くでようやく解放され、

義父も無事送り届け、

夫とふたりになった時の私は、

やっと生きてる瀕死の生き物でした。

 

合同葬祭から3日経った、今。

いまだに疲労が抜けません…

 

△義父から頂いた軽井沢土産のジャム詰め合わせ

 

母の納骨は、改めて来週に行います。

私たち夫婦だけで...