先天性アウトプッター

備忘録及び雑記

2019年2月28日から放置、リアル奮闘記をメインに日々の備忘録として2021年9月25日に復活。2023年2月28日に終了。過去ログはhttp://miuticknine.blog.jp/参照。今後はhttps://note.com/miucherry/にて更新(2023.2.28現在)

リアル奮闘記.07~母の死

前回の記事が、2021年10月3日

miucherry.hateblo.jp

 

約7か月ぶりの更新となります。

 

その間あったことをつらつらと書き連ねても冗長に過ぎないので、

簡潔に...(できるか?)

 

前回の記事で、久しぶりに母と面会できました。

コロナ渦で、母の住むグループホームへの面会が禁じられていたためでした。

母の急変に伴い、精密検査のための病院への付き添いが許されたので

ようやく再会。この後のMRI検査にも付き添いました。

 

MRI検査、私も何度か受けたことがありますが、音が凄いんですよね。

ヘッドホンを装着したり、点滴で安定剤を投与しながらといった対応もあったり。

認知症で落ち着きのない、そして、感情的になりがちの母は、

このMRI検査で暴れてしまうため、技師さんも看護師さんも私も

母をなだめるために大変だったのを思い出します。

 

そして、これが母と会った最後となりました。

 

今年2022年1月に83歳を迎えた母。

精密検査の時は、たまに自分で歩いたり、会話もスムーズでした。

何度も危うい状態になっても、その度に回復してきた母。

今回も意識朦朧として座っていることさえ難しい状態から

少しづつ回復しているところでした。

 

2月22日

日付が変わろうとする真夜中、私は、歌を投稿しているアプリで、

フォロワーさんに招待されて配信に参加していました。

BUCK-TICK「LONG DISTANCE CALL」を生歌で披露した直後、

グループホームから電話があり、母が息を引き取ったことを知らされました。

 

この「LONG DISTANCE CALL」という曲の歌詞を引用します。

 

聞こえる 聞こえるかい もう眠っていたんだね

聞こえる 聞こえるよ ごめんよ 起こしたね

 

そう大事な話なんだ 笑い話かも ああ

 

聞こえる 聞こえるかい もう少しこのままで

聞こえる 聞こえるよ ありがとう聞いてくれて

 

もうしばらく会えないんだ おやすみ言うよ

この電話 最後に それじゃ...

 

愛しているよ Mama 他には何にもないさ

愛している 愛している 他に何も

 

愛しているよ Mama もう上手く話せないよ

愛している 愛している 他に何も

 

もうしばらく会えないんだ おやすみだけを

この電話 最後に じゃあね...

 

愛しているよ Mama 他には何もないさ

愛している 愛している 他に何も

 

愛しているよ Mama もう上手く聞き取れないよ

愛している 愛している 他に何も

 

心が壊れていく 誰かを傷つけにいく

止まらない 止まらない 俺は行くよ

 

愛しているよ Mama もう上手く話せないよ

愛している 愛している 他に何も...

作詞:櫻井敦司

 

これほど仕組まれたような偶然ってあるでしょうか?

 

長年ファンとして聴き続けている、そして、歌って賞賛されている

BUCK-TICKの曲の歌詞と、自分の現状とがあまりにも重なり過ぎる。

驚愕のあまり母の訃報に泣き崩れるより、ただ、ただ、茫然自失...

 

すでに父を亡くし、看取った経験から、

いずれ来る母の死は覚悟していました。

そのせいか、父の時のように取り乱すことなく、

わりと冷静に受けとめられました。

 

起きてきた夫に、母の訃報を告げ、

グループホームのスタッフさんと打ち合わせして、

私たちは夫の社用車で、そのまま母のいる茨城へ。

 

時刻は午前3時か4時といったところ。

途中、車のトラブルなどもあり、現地に着く頃には、

空は夜明けにほんのり染まる頃。

 

永遠の眠りについた母は、とても穏やかな顔をしていました。

スタッフさんのお話だと、夜10時頃の巡回では、寝息をたててスヤスヤと

眠っていたとのこと。夜間の排尿介助のため、再び様子を見に行った時は、

もうすでに息をしていなかったと仰ってました。

 

本当に眠るように、スーッと息を引き取ったのでしょう。

スタッフさんの手厚い介護の中、苦しむことなく、安らかに逝ったことが

わかって、娘としては心底良かったと思いました。

 

もう二度と目を開けることのない母にかける言葉といったら、

「お疲れ様でした。よく頑張ったね。ありがとね」しか言えませんでした。

夫はどうしても仕事を外せないため、母に挨拶した後、東京へ。

私は、母の居室でふたりっきりになった時、堰を切ったように大泣きしました。

この時しか泣けないと思ったから...

 

スタッフさんに紹介して頂いた葬儀屋さんが母を迎えに来たのは、

午前9時頃だったでしょうか。

グループホームのスタッフさん、利用者さん、

そこにいる全員が運ばれる母を見送って下さいました

感動しました。感謝しかありません。

 

その日は葬儀屋さんと打ち合わせして、ひとりで帰宅。

後日27日、私たち夫婦のみではあったけど、火葬式を執り行い、

母は骨になりました。

 

父が亡くなった時は、まだこのはてなブログをやっておらず、

livedoorブログの方に書き記しています。

 

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5つも記事書いてる!笑

 

初めて親を亡くし、喪主を務め、そうこうしながらも

母の介護、そして、仕事と家事に奔走していた日々。

 

人生で一番忙しかった。一番落ち着かなかった。

歯を食いしばって忙しさに耐え、苦しみに耐えた時期。

 

食いしばり過ぎて失くした奥歯の治療をしている、今。

本当に目まぐるしく過酷な時期を振り返ってみると、

誰かのために一生懸命に生きた自分の姿と、

支え合った家族や仲間の顔が思い浮かびます。

 

落ち着いたか?と言うと、ちっとも落ち着いてません(苦笑)

でも、きっとこれからも足掻いて、もがいて生きていくんでしょう、私は。

 

そんな私は、一昨日5月15日55歳になりました。