2018年開始。2021年9月復活~2023年2月28日一旦終了。2024年5月10日からライフログして再始動
何回復活するんだろうか?原点回帰と言いたいけど、もはやブログソンビ。人生終了するまでもがき足掻き続けるだけ。

現状のこと〜本編(Cメロ)

え、Cメロ?おかしくない?と言われれば、

そう!当たり!と言いたい、みうです。

 

Cメロとは、

 

イントロ→Aメロ→Bメロ→サビ

→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ

→間奏があったりなかったり→Cメロ

→大サビ→アウトロ

 

という一般的なポピュラーソングにおける

王道パターンの大サビ前にくる

メロディー(厳密には曲を構成する部分

=「セクション」といった言葉の方が正しい)

であります。

 

元音楽ライターとして

色々補足したいところですが、

なんていうか...

 

ウザイ。

 

自分で自分の文章読んでて

ウザイって思うんです。

 

ってことは、他の人が読んだら

もう9行目あたりで

読むのやーめたってなりますよね。

きっとそうなるでしょう。ええ。

 

いいんです。

 

このブログはPVや読者を増やすだの

読ませることを目的としていません。

 

ひとえに

ただ私が吐き出したいから。

これに尽きます。

 

吐き出し連呼しすぎて

もう...

 

クドイ。

 

他のブログサービスにあったりなかったりする

自己満ブログっていうカテゴリー。

これです。

 

だから、Cメロでいいんです。

 

こんなに長くなると思わなかったから

勝手に1サビ前にCメロ持ってきた。

A〜Bと来ればCでいいんじゃね?

そんないい加減なノリです。

ぶっちゃけもう考えるのが××××

 

音楽でいうところのピー音を

伏せ字で表現してみた。

 

はぁ...

もう何でもありだな。

 

そう、自己満足だからね!

 

 

 

11月4日のこと(続き)

 

主婦業を苦手とする

現在専業主婦の私にとって

土日はわりと地獄です。

 

地獄っていうか、戦場っていうか...

普段でさえもない余裕が

もっとなくなります。

 

なので土日はあまりiPhone見ません。

見てもクックパッドとかレシピブログとか。

主婦業と介護に専念します。

 

だから、たまたまとしか言えないんだけど、

手に取った時にTwitterの通知が表示されてて

それが新規フォロワーのお知らせで

そのフォロワーさんのTL

介護ネタで埋め尽くされていて

我が家とは比べようもないほど過酷な状況で

愚痴を吐き出すための介護垢で...

 

介護を主題とした記事も

別に書こうと思っているので

ここでは割愛します。

 

実は、今年8月にも

似たようなことがありました。

 

その時は某ニュースサイトの介護特集の記事で、

介護殺人とかそういう事件ばかりを

扱っていて読んでいるうちに

自然と涙が出てきました。

 

我慢しようと思ったのに

泣きたい気持ちと抑制しようとする気持ちが

コントロールしきれなくなって

過呼吸になりました。

 

過換気症候群とも呼ばれていますね。

 

www.jrs.or.jp

 

お得意の余談

 

私が初めて過呼吸になったのは、14歳。

中学校2年生、体育祭の時でした。

 

見た目は健康優良児の快活なデブですが、

身体的には病弱で体育の授業も

ほとんど出ませんでした。

 

そんな私がなぜか800m走の

クラス代表に選ばれました。

短距離や長距離は

それぞれ得意な生徒が選ばれていて、

800mという中途半端な距離のせいか

代表がなかなか決まらず、

他人事だとボーッとしていたら

先生に「できるよな?頼むぞ!」と肩を叩かれて

クラスメイトはみんな拍手していました。

 

頼まれると断れないのは、亡き父親譲り。

 

私も何の根拠もなく

走れるだろーなーと高を括って

いざ体育祭本番を迎えたら、

緊張と不安と体育祭の勝敗が

決まる競技だというプレッシャーとで

100mも走らないうちに倒れました。

 

保健室に運ばれたのはいいけど、

ベッドに寝かされて放置されました。

 

走れなかった悔しさ、

期待に応えられなかった不甲斐なさ、

具合悪いのに放置された寂しさも加わって

体調は悪化しました。

 

その後のことは意識朦朧として

よく覚えてないけど、

学校から救急車で総合病院に搬送されて

両親が迎えに来ていました。

 

ぼんやりとした意識の中、

汚れた体操着にゼッケンをつけたままで

夜中にタクシーで親に付き添われて帰る

自分がみじめに思えたのを覚えています。

 

余談の余談

 

30歳から40歳の10年間は

入退院を繰り返していた闘病期で

救急車搬送された回数は...

さすがに分かりません。

多すぎて。

 

そのほとんどが過呼吸です。

 

連日連夜だった時もあって、

駆けつけた救急隊員さんも

「またみうさんか...みうさん、聞こえますか?

聞こえたら返事してください。できない時は

手を握り返してください」と言っていたのを

薄れゆく意識の中でも覚えています。

 

あまりに多かったので

救急隊員さんも過呼吸対策を調べて下さって

搬送する前に色々処置してくれたけど、

聞くところによると

サチュレーション(SpO2)が20%まで

下がって意識喪失してしまうので

救急処置では施しようがないと判断されて

病院で目覚めるパターンでした。

 

nursepress.jp

 

搬送される病院は

基本的に近くの第一次から第二次救急病院

らしいけど、私は難病も抱えていたので

扱いが難しいとのことでカルテのある

当時かかりつけの大学病院に

搬送してもらっていました。

 

その時は誓約書かなんか書くのかな?

遠くまで搬送する代わりに命の補償はしないって。

わかんないけど。

入院生活で埼玉から東京に搬送された

患者さんから聞いたけど、ガセかも。

それか、当時と今とは違うとか。

調べろよって話だけど、それはまたの機会に(と言って逃げる)

 

やっと閑話休題

 

今年10年ぶりに過呼吸になって

自分でも驚きました。

 

夫ちゃんは私が過呼吸になるのを

目の当たりにするのは初めて。

 

大変だったと思います。

過呼吸という症状を知識として知っていても

実際、過呼吸になった人を目の当たりにすると

どうしたらいいか対処に困りますよね。

 

翌朝、過呼吸の余韻というか、

目覚めた時もまだ息苦しいなと思ったら、

喋れなくなっていました。

 

心因性失声症です。

 

これもまた別に記事を設けたいと

思っているので、ここでの詳細は割愛。

 

その悪夢の再来が

11月4日でした。

 

んー...

 

過去のエピソードを

含ませながらなので

11月4日という見出しで

3記事も書くことになるとは...

 

みう、恐ろしい子

 

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©️美内すずえガラスの仮面

 

元ネタが分からないとギャグにならないので、画像をお借りしました。